名古屋地方裁判所 平成2年(ワ)2284号 判決 1992年4月23日
原告
大原功
被告
加藤千春
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は、原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は原告に対し、一〇〇〇万円及びこれに対する昭和六三年七月一三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告が左記一1の交通事故の発生を原因として、被告に対し自賠法三条、民法七〇九条に基づき損害賠償を請求する事案である。
一 争いのない事実
1 本件事故の発生
(一) 日時 昭和六三年七月一一日午後一一時一五分ころ
(二) 場所 愛知県海部郡蟹江町大字蟹江新田字上芝切一四八の三先
(三) 加害車両 被告運転の普通乗用自動車
(四) 被害車両 佐藤満運転、原告同乗の軽四貨物自動車
(五) 態様 加害車両が信号待ちで停車していた被害車両に追突した。
2 被告の責任原因
被告は、加害車両を自己のために運行の用に供する者であり、前方不注視のまま進行した過失により本件事故を惹起した。
3 損害の填補(一部)
原告は、被告から後示昭和六三年七月一二日から平成元年一月二五日までの石塚病院における治療費として五六万八三二〇円の支払を受けた。
二 争点
被告は、原告の傷害が平成元年一月二五日までに治癒しており、その後の治療は本件事故と因果関係がないし、石塚外科における昭和六三年七月一二日から二五日までの入院も必要性がなかつたと主張し、損害額を争つている。
第三争点に対する判断
一 治療の必要性について
1 本件治療経過等
(一) 前示争いのない事実、甲六ないし甲一九、甲二二、甲二四ないし甲二八、甲二九の一・二、乙七、乙一〇、乙一一、証人石塚弘和、原告本人、弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(1) 原告は、昭和六三年七月一一日前示の態様で本件事故に遭遇し、<1>同月一二日石塚外科・整形外科病院で診察を受け、同日から同月二五日まで一四日間同病院に入院し、続いて同月二六日から翌平成元年一月二五日まで同病院に通院し(通院実日数八〇日間)、<2>その後平成元年二月二一日から平成二年一月二七日まですずき接骨院に通院し(通院実日数三四一日間)、<3>更に平成二年五月八日から同月二二日まで一五日間狭間国際温泉病院に入院し、<4>この間同年五月九日から同月二二日まで狭間クリニツクに通院した(通院実日数一一日間)。
(2) 原告は、昭和六三年七月一二日石塚病院での前示初診時には、主として頚部の鈍痛を訴え、外傷性頚椎症との診断を受け、そのほか左下肢の挫創・挫傷及び右肩甲骨部打撲が認められたが、<1>その頚部痛は、痛みの程度が軽く、これに伴う神経根症状もなく、X線撮影でも第四ないし第六頚椎部に加齢的な軟骨石灰化が認められた以外格別の異常が認められなかつたため、軽症と判断され、筋腱反射・疼痛誘発検査その他の神経学的検査も実施されなかつた。<2>またその他の挫創・挫傷等は軽症で、鎮痛の投与及び湿布処理を受け、これら一連の診察・治療後に原告は、一旦帰宅した。
しかし原告は、同日再度同病院を訪れて入院を希望し、ベツドにも空きがあつたためこれを許可され、結局前示のとおり同月二五日まで同病院に入院した。
(3) 原告は、入院中頚部痛を訴え、これに対し鎮痛剤の投与と湿布を受け、昭和六三年七月一六日から頚部の牽引療法を実施されたが、<1>同月一三日から一四日にかけて、<2>一九日から二〇日にかけて、<3>二四日にそれぞれ無断外泊し、同月一七日と二一日にそれぞれ無断外出するなど安静を守らず、この間弥富町議会議員としての研修で岡山県まで一泊旅行したり、帰宅して仕事の打合せをしたりしていたが、外出時には自ら自動車を運転しており、運転に格別の支障がなかつた。
原告は、退院後前示のとおり石塚病院に通院したが、通院期間中前示傷害は、悪天候時に頚部痛が出る以外には格別の自覚症状がない状態にまで改善し、他覚的所見も認められず、結局平成元年一月二五日自己の判断で同病院への通院を中止した。この間原告は、石塚病院に来ても、自分で牽引とマツサージだけを受けると医師の診断を受けずに帰つてしまうということを繰り返し、カルテには症状や診察結果が殆ど記載されていない。そのほか、原告は、通院中から趣味のゴルフの練習をし、コースにも出るなどしていた。
(4) その後原告は、前示のとおり、すずき接骨院に通院して、頚椎捻挫、右上腕部打撲との診断を受け、平成二年五月には、狭間国際温泉病院及び狭間クリニツクに入通院して、それぞれすでに陳旧性の状態にある外傷性頚椎症候群ないし頚部捻挫後遺症との診断を受けた。
(二) 右認定に関し、乙一二、原告本人の供述中には、<1>前示石塚病院への入院は医師の勧めによるものである、<2>昭和六三年七月一四日の石塚病院からの外泊は医師に届け出ている、<3>本件事故後昭和六三年中は石塚病院に通院する以外殆ど自宅で寝て療養していたとの部分があるが、いずれも甲二二、証人石塚弘和及び通院中の原告の行動等に照らし到底信用することができない。
2 右認定の受傷内容、治療経過(特に通院中の原告の症状、入通院中の行動状況)に証人石塚弘和の証言を勘案すれば、本件事故による原告の頚部の傷害は、軽度の挫傷に過ぎず、またその他の左下肢の挫創、挫傷及び右肩甲骨部打撲も軽症であつたと考えられる。
したがつて、原告の頚椎に前示のような加齢的変化が潜在していたことを考慮しても、これらの傷害は、<1>遅くとも本件事故後約六ケ月を経過し、前示石塚病院での通院治療が中断した平成元年一月二五日の段階で完全に治癒ないし症状固定していたと認めるのが相当であり、その後の治療は、本件事故との因果関係がないといわざるを得ないし、<2>また昭和六三年七月一二日から同月二五日までの同病院への入院もその必要を認めることができないといわなければならない。
更に、前示のような石塚病院における通院治療の状況・通院頻度等に照らせば、この期間の牽引等の治療も、その一部は、原告が医師の診断に基づかず勝手に受けたもので不必要な治療ではないかとの疑いがあるが、その割合が明確でないから、後示のとおり慰謝料の算定においてこれを考慮することとする。
二 原告の損害
1 治療費(請求一三五万四二六〇円) 三四万七七〇〇円
甲七、甲九、甲一一、甲一三、甲一五、甲一七、甲一九、弁論の全趣旨によれば、原告は、<1>昭和六三年七月一二日から平成元年一月二五日までの前示石塚病院における治療費として合計五六万八三二〇円を要し、<2>そのうち昭和六三年七月一二日から同月二五日までの入院に直接要した費用が二二万〇六二〇円であつたことが認められるから、前者から後者を控除すると、残額は三四万七七〇〇円となり、本件での適正な治療費はこの金額を超えないこととなる。
その他の治療費については、前示のとおり、本件事故との因果関係が認められない。
2 入院雑費(請求三万一九〇〇円) 認められない。
前示のとおり入院の必要性を認めることができない。
3 通院交通費(請求一三万八〇六一円) 二万八八〇〇円
前示認定の適正な治療期間中の通院実日数八〇日間につき、公共交通機関の利用料金として一日当たり三六〇円を要したものと認められる。
4 休業損害(請求一五三〇円) 認められない。
乙六の四、乙一二、原告本人によれば、原告は、本件事故当時中部熔材弥富有限会社・中部商事有限会社の代表取締役、弥富ガス協同組合の役員、弥富町議会議員を勤め、それぞれ役員及び議員報酬の支払を受けていたことが認められるが、本件事故のためこれらの報酬が減額されたことを認めるに足りる証拠はない。
そのほか、原告は、本件事故による原告の欠勤のため、経営する中部熔材弥富有限会社が新た二名の従業員を雇用せざるを得なくなり、これによる損害を被つたと供述し、乙一二にもこれに沿う記載があるが、仮にそのような従業員の雇用が認められるとしても、前示治療経過等に鑑みれば、到底本件事故との因果関係を認めることができない。
5 傷害慰謝料(請求一五〇万円) 六〇万円
原告の受傷部位・程度、治療期間・経過、前示一2認定の事情等を勘案すると、右金額が相当である。
6 損害の填補
原告が前示昭和六三年七月一二日から平成元年一月二五日までの石塚病院における治療費として五六万八三二〇円の支払を受けたことは当事者間に争いがなく、また乙一一によれば、そのほかに本件事故による損害に対し五〇万一七八〇円の支払を受けたことが認められるから、結局原告は、本件事故の損害について合計一〇七万〇一〇〇円の支払を受けたものと認められる。
これに対し前示1ないし5の損害の合計は九七万六五〇〇円であるから、右損害填補の金額に照らすと、本件では、原告が支払を受けるべき損害は残存していないこととなる。
三 結論
以上の次第で、原告の請求は、すべて理由がない。
(裁判官 夏目明徳)